自分が嫌われて憎まれて悪者になって終わるのって楽だ。
「ああ、そう」で終われるから。

だいたいにおいて私は自分のことわかって欲しくて超主張するけど、「無駄だ」って思ったら早い。
相手の神経逆なでするようなことをわざと言って嫌われて終わる。
ハイ簡単。

「これを言ったら嫌われる」ってわかってて言うんだからタチ悪いよなー、と思う。
けど、つまりは、それを言わなきゃいいわけで、さらに、何を言ったら好かれるかとか相手が気持ちいいかってのもだいたいわかってるっていうこと。
そういう自分が好きだったり嫌いだったり。
「先を読んでわかっているのにわざと何かをする」という自分。

小賢しいと思う。
相当小賢しいと思う。

わかってるんだから、皆に好かれるようなことだけ言って、皆から好かれてればいいのにね。
けど、それができない。
なんでかな。
おもしろくないからかな。
疲れるからかな。
皆から好かれようとするとか、皆に嫌われたくないとかって疲れるからかな。

大事なひととか大好きなひとが居て、そのひとたちにわかってもらえればいいんだ。

怖かったけど、全部話したら超楽になったことがあった。
九月、十月は、そうやって「伝える」ことにエネルギィを使い過ぎてちょっと疲れたけど、大好きなひとたちにわかってもらったら、すっごく楽になった。

「これを言ったら嫌われる」ということをわざわざ言ってしまうことは、一種の自己防衛だということも理解してもらった(と思う)。

大好きなひとたち(ほんのわずか)が居てくれる安心感。
それだけでいいや。

わかってくれない人にわかってもらおうとする労力を、わかってくれる、大好きな、大事なひとたちを守るために使おう。
他の人には嫌われたっていいんだ。

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